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福岡地方裁判所 昭和34年(わ)88号 判決 1961年7月14日

被告人 城戸末則 外二名

主文

被告人等はいずれも無罪

理由

本件公訴事実は、

「被告人等は、執れも長崎相互銀行の従業員であつて、被告人城戸は同銀行の従業員を以て組織せる長崎相互銀行従業員組合福岡支部長、被告人藤島及び被告人池田は執れも同組合の中央委員であり、同組合は昭和三三年三月末頃から期末臨時給与等の要求に関して会社との間に闘争態勢に入つていたが、前記福岡支部の副支部長猪又睦浩が他数名の組合員と第二組合結成の動きのあることを知り、同人を同組合の中央闘争委員等の宿泊中である福岡市土手町旅館牡丹荘に連行して詰問説得する目的を以て、被告人城戸は同年五月一〇日午前九時三〇分頃福岡市渡辺通五丁目長崎相互銀行福岡支店において前記猪又に喫茶店風月に行つて話合おうと申向けて同人を誘出し、途中同市法印田福岡市下水課現場事務所附近道路上において矢庭に同人の右腕を捕え、同人が逃走を企てるや爾余の被告人等は被告人城戸に協力し、ここに被告人三名共謀の上被告人藤島が同人の左腕を捕え、被告人池田が同人の両肩を捕えて同人の自由を束縛し逃走を断念せしめて自動車に乗車させて前記牡丹荘に連行し、以て不法に同人を逮捕したものである」

というのである。

当公判廷に顕われた証拠(第一三回公判調書中被告人城戸、被告人池田の各供述記載部分、被告人城戸の司法警察員に対する供述調書、被告人池田の司法警察員に対する供述調書二通、被告人藤島の当公判廷における供述、同人の司法警察員、検察官に対する各供述調書、第三、四回公判調書中証人猪又睦浩の各供述記載部分、第四回公判調書中証人三善宣生の供述記載部分、同人の検察官に対する供述調書、司法警察員鶴九郎作成の実況見分調書(第四項当時の情況及び右に関連する添付第二図面の部分並びに添付写真7を除く))によれば昭和三三年五月一〇日午前九時三〇分頃福岡市法印田福岡市下水課現場事務所附近道路上において、被告人城戸がその左腕を猪又睦浩の右腕にかけて同人を捕え、同人が捕えられた腕を離そうとしているところを被告人藤島がその右腕を同人の左腕にかけ両側からスクラムを組む形で腕を組んで同人を捕え、被告人池田が同人の肩を前から押え、被告人三名で同人を捕え被告人池田はタクシーを呼ぶためすぐその場を離れたが、被告人城戸、被告人藤島両名で更に数分間前示スクラムの形で同人の自由を束縛していたことが認められる。(なお猪又睦浩が自動車に乗車する際は後記認定のとおり被告人等が同人の意に反してその自由を拘束したものとは認められない。)

右認定によれば被告人等の所為は、猪又睦浩の身体に対し有形力を行使して直接拘束を加え数分間その行動の自由を奪つたものと云うべきであり、これは刑法第二二〇条第一項所定の逮捕罪の構成要件に該当する。

しかしながら右被告人等の行為は次のような事情の下に行われたものであることが当公判廷に顕われた証拠(前掲各証拠の外第六、七回公判調書中証人米倉穀三の各供述記載部分、第五回公判調書中証人池園保富の供述記載部分、第八回公判調書中証人満井澄夫の供述記載部分、第一〇回公判調書中上西直久の供述記載部分、組合員必携(昭和三五年(裁)第一一二号の一))により認められる。

昭和三三年四月当時長崎相互銀行従業員組合(以下単に組合という)は、株式会社長崎相互銀行(以下単に会社という)の部長、支店長、次長等を除くすべての従業員をもつて構成され、議決機関として大会、中央委員会が、執行機関として中央執行委員会があり、会社の各支店所在地にそれぞれ支部が設けられ、議決機関として支部総会が、執行機関として支部執行委員会があり、闘争中は中央支部の各闘争委員会が設置される。

当時組合は、期末臨時給与その他の要求をかかげ、組合規約の要求する手続外である全組合員の直接無記名投票(約九二パーセントが賛成)なる慎重な手続を経た上、大会決議(全員賛成)により同年四月一一日スト権を確立し、同月一四日より会社と争議態勢に入り定時出退勤等会社の経営状態を考慮し比較的穏やかな争議手段を採用し、いわゆる柔軟闘争中であつた。

ところが四月末頃より、組合福岡支部組合員米倉穀三(当時同支店庶務係長)他数名が中心になつて組合の闘争に反対するいわゆる批判勢力として他支部とも連絡をとつて組合に対する批判活動を始め、当時福岡支部副闘争委員長兼組織統制部長であつた猪又睦浩も五月初め頃より右活動に参加していた。五月初め頃は第二組合を結成すべく第二組合結成趣意書を作成したりしていたが、後組合内の批判勢力として民主同志会を結成し、更に五月二十七日に至つて第二組合を結成したものである。

右の様な動きを察知した組合では五月八日長崎市において緊急中央闘争委員会を開き、分派活動の調査並びにその対策のため中央闘争委員(当時二〇名)中九名を急拠福岡に派遣する。右派遣中央闘争委員会に中央闘争委員会の権限中、福岡、北九州地区に於ける闘争の指導並びに全面ストライキ以外の指令決定権を移譲する旨決定し、被告人藤島、被告人池田を含めた派遣中央闘争委員等は翌九日福岡市に着き、市内土手町旅館牡丹荘に落ちつき、同日夕方当時福岡支部闘争委員長であつた被告人城戸(当時同支店貸付係長)及び黒門支部脇山闘争委員長の両名を呼び分派活動の実情についての報告を受け、猪又睦浩も右活動に参加している疑いあるを知り、翌一〇日朝派遣中央闘争委員会を開き、同日午后より福岡支部、黒門支部合同支部総会を開催する。猪又睦浩を旅館牡丹荘に呼び分派活動の実情調査と説得活動を行う旨決定し、右指令を伝達するため派遣中央闘争委員中より当時中央組織統制副部長をしていた被告人藤島(当時熊本支店貸付課長)が福岡支部に行くことになつた。なお被告人藤島は猪又睦浩を知らなかつた関係上同人をよく知つている被告人池田が同行することになり、午前九時三〇分頃右両名は福岡支店に向つたものである。

他方同日朝福岡支店に出勤した被告人城戸は猪又睦浩を説得し出来れば共に闘争を続けさせる目的で同支店内食堂に同人を呼出したが、同所ではゆつくり話合いが出来ないと判断したため二人で喫茶店風月に行くべく同支店を出て渡辺通五丁目交叉点を渡り、西日本新聞社前西鉄急行電車大牟田線二号踏切をふみ切りスポーツセンター内喫茶店風月の方向に向つた。被告人城戸の右行動は派遣中央闘争委員と連絡をとつた上のものとは認められず、それとは無関係に支部闘争委員長として副闘争委員長である猪又睦浩と前記目的で話合うべく誘い出したものであり、猪又睦浩も又自己の分派活動についての話合いである旨了解して同行したものである。

同時刻頃前記のように福岡支店に向つた被告人藤島、被告人池田は、渡辺通五丁目交叉点を北に渡る被告人城戸と猪又睦浩を同交叉点西側道路上附近で偶然見つけ、派遣中央闘争委員会の決定を告げ猪又睦浩に旅館牡丹荘迄来て貰うため右両名のあとを追いかけ前記踏切附近に追いついた被告人藤島が、被告人城戸に後から“城戸さん”と呼びかけたので被告人城戸は後を振返り被告人藤島を待とうとした。ところが右呼びかけを聞かなかつた猪又睦浩がそのまま行きかけたため同人を停止させるべく被告人城戸がその左腕を同人の右腕にかけたが、それを強制的に連れて行くためのものと誤解した猪又が「一緒に行つているではないか」と憤慨し組まれた腕を振り放そうとした。(なおその際第三回公判調書中証人猪又睦浩の供述記載部分によると被告人城戸が「裏切者はこうしてでもつれて行くのだ」と云つて腕をとられた旨の記載があるが、被告人城戸には前記認定のとおり右の如き発言をする理由が考えられず又その後の状況等照らし合せると被告人城戸が右趣旨の発言をしたとは遽かに断定できない)

そこに追いついた被告人藤島は猪又睦浩に前記用件を告げようとしたが、同人が被告人城戸ともみ合つていたためその左腕を自己の右腕で捕え、又その頃同様追いついた被告人池田が同人の肩を前から押えたものである。予期しなかつた事態に驚いた猪又は、大声で数回助けを求めると共に両側からスクラムを組む形で組まれた腕を振り放すべくもがいたが、その間被告人藤島は静かに話合いたいと数回に亘り申向け、猪又はその真意を確めたところ暴力は絶対振うようなことはない旨確言を得たので数分後には中央闘争委員との話合いを承諾して被告人池田の呼んで来た自動車に同乗し旅館牡丹荘に行き、派遣中央闘争委員中満井澄夫、池園保富、被告人藤島の三名と共に午後九時頃迄同所においていろいろ話合つたがその間暴行脅迫が行われたことはなかつた。尤も猪又が右のごとく承諾するに至るまでの過程において多少の威圧感又は困惑感が伴つていたことは推認されるが同人の自由意思が抑圧されたとは断じ得ない。

以上を要するに本件は闘争中の組合内部における統制違反者に対し事情聴取と説得のために召喚が決定され、その召喚の伝達に関連して惹起されたものであり、被告人等は右決定の実行を企図したのみであり、この機を失しては他に適当な機会なしと性急にことに処したが他意があつたわけではない。本件行為の態容も猪又の両腕を掴み数分間同人をしてその束縛から開放さるべくもがくに至らしめたに過ぎず、その間数回に亘り静かに話合おうと申向け、同人の承諾を得、他に何等の暴行脅迫も行なわれていないことなど諸般の事情を考慮すれば本件所為は社会観念上公序良俗に反したものというを得ず、実質的違法性を欠くべきものと解するのが相当である。

従つて被告人等に対し刑事訴訟法第三三六条によつていずれも無罪の云渡をする。

(裁判官 塚本富士男 岡田安雄 吉田訓康)

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